(特集「20世紀の建築防災-災害と技術(3)」)

月刊「建築防災」

No.260 1999/9月号(特集「20世紀の建築防災-災害と技術(3)」)

◆ 防災随想 人と技術/中島修一(ダイケンエンジニアリング(株))(2ページ)

◆ 特集「20世紀の建築防災-災害と技術(3)」

 ◇ 千日デパート火災再考/鈴木隆雄((株)マヌ都市建築研究所)(7ページ)
昭和47年5月13日の午後10時半ころ、大阪ミナミの繁華街で衝撃的なル火災が発生した。それが、千日デパート火災である。3階、改装工事中のデパート衣料品売場付近から出火し、急速に燃え広がり、エスカレーター部分を介して2階と4階を焼損した。煙は、エレベーターシャフト、空調ダクト、階段室から上へ急速に伝搬し、何の火災連絡もないまま、7階で営業していたチャイナサロン・プレイタウンのお客や従業員が、噴き出す煙でパニック状態となり、逃げ場をなくし、118人の生命が失われた。 
このルは昭和7年に大阪歌舞伎座として建てられたものであり、戦災を免れ、何度も改築・改装を行いながら利用されてきた7階建ての複合ビルである。当時、国外では超高層ビル火災が相次ぎ、国内では雑居ビル火災が問題とされていた中で発生した火災である。
ハード及びソフトにわたる建築防火間題のみならず、既存不
適格建築物への対応題など幅広い論議を引き起こした火災であり、翌昭和48年の死者103名を数えた大洋デパート火災とともに、以後の法令改正の契機となった火災である。戦後の驚異的な復興と高度
経済成長という時代と現在では、社会的な背景は違うが、こうした複合ビル火災に関する潜在的な危険性は内包されていると
われる。こうした問題意識から、千日デパート火災を見直してみたい

 ◇共同住宅等におけるガス事故の変遷/小林恭一(自治省
消防庁)(8ページ)

「マンションでガス大爆発」のニュースがあまり見られないようになって久しい。考えてみると、昭和40年代の後半から昭和50年代の半ば頃までマンションや住宅でガス爆発が相次ぎ、私が消防庁に勤務するようになった昭和55年には、静駅前の「ゴールデン」という地下街類似施設のガス爆発で消防職団貝5名が殉職するなどの大惨事も発生して、ガスの安全対策の強化に忙殺された思い出がある。その後、各種のガス安全対策が功を奏して着々と事故が減少した。現在ではガス事故は当時の6分の1に減少し、消費先10万世帯あたりのガス事故の発生率で見ると、4.8件から0.6件へと8分の1に激減している。安全対策の効果がこれだけ劇的に現れた例、 
寡聞にして聞いたことがないほどである。本稿では、都市ガスと液化石油ガスについて、事故の発生状況及び安全対策の推移などを概観してみることとしたい。

 ◇大正12年関東大震災を引き起こした強震動/武村雅之(鹿島小堀研究室)(4ページ)
建物や高速道路が関東地震の何倍かの地震動にも大丈夫なように設計されているという話をよく聞いた。また1995(平成7)年の兵庫県南部地震の際には予想だにしなかった関東地震の3倍もの強さの地震動が来襲した。等という話も聞いたことがある。もちろんここでいう関東地震というのは大正12年に発生し、南関東円で死者行方不明者14万3千人、全半壊家屋25万4千戸、焼失家屋44万7千戸を出した関東大地震のことである。関東地震による揺れは東京では震度6と兵庫県南部地震で大きな被害を出した神戸市中心部の震度7に比べやや弱いとされているが、震源に近い小田原や鎌倉や館山等ではもっと強い揺れに襲われたことは被害の状況からほぼ間違いない[鹿島都市防災研究会編(1996)]。小田原城には図1に示す写真のように、今でも当時の被害を伝える石垣の残骸が残っている。しかしながら関東地震による揺れは、色々な場面で引き合いに出される割にはよく分かっていない。1923(大正12)年にマグニチュードM=7.9の関東地震が発生し、約75年が経過する。その間多くの地震学的・地震工学的研究が行われてきたが、それらは大まかに3つの時期に分けることができる。第1期は言うまでもなく地震発生直後の約十年で、そこでの成果やデータは震災予防調査会報告100号の甲戊をはじめ多くの論文にまとめられている。また、地震被害の特徴をまとめた被害調査報告書や震災誌もこの時期に数多く発刊され、今日でも関東地震についての研究をする際の貴重なデータベースとなっている。次に、関東地震についての研究が盛んに行われた時期は発生後約50年程経った1970年代前半からである。この時期が第2期である。この間地震の正体が地下で動く断層であること、さらにその断層運動の性質を決めるのに地球を取り巻くプレートの運動が大きな関わりをもっていることが分かってきた。関東地震に関しても、相模トラフから日本列島下に潜り込むフィリピン海プレートの動きと関連させて震源断層およびその動きが明らかにされ、多くの断層モデルが提唱されている[佐藤(1989)]。その後20年が過ぎ、発生から70年後の1990年代に入り、再び関地震についての研究が盛んに行われつつある。第3期の到来である。第3期の特徴は、関東地震による強震動を解明し地震工学的研究に結びつけようという点にある。地震被害についての研究は地震発生直後にも数多く行われたが、地震の正体もよく分からない時代であったため、震源と地震被害との関係を詳しく論じるところまでにはいたらなかった。第2期の地震学的研究成果をべ一スにそれらをさらに発展させて詳細な震源の性質の解明や余震活動の解明等を行い、さらに第1期のデータベースの見直しおよび解釈を通じて強震動の研究が行われつつある。関東地震の強震動に関する最近の研究のレューは、武村(1998)に詳しい。本稿では、その内容の要点をまとめ75年前に南関東地域を襲った強震動の性質を明らかにする。

 ◇ 霞ヶ関ビル建設当時の防災計画/村田麟太郎((株)山下設計)(5ページ)
日本最初の超高層ビルである霞ヶ関ビルの誕生は1968年4月であるから本年で31年目を迎える。当時は経済的な上げ潮の時代であり、それを背景に科学技術の発展がめざましく霞ヶ関ビルもその成果の一つであった。現在は、ニーズの変化に伴なうリニューアルが実施され、防災上の変更も行なわれていると聞くが、先づは計画当時の熱気あるプロセスから生れた防災の考え方を紹介したい

◆ 全国ネットワーク委員会ニュース

 ◇既存建築物耐震診断・改修等推進全国ネットワーク委員会平成11年度第1回全体委員会開催報告/事務局(1ページ)

 ◇特別講演「耐震改修促進法と工作物責任(民法717条)」/大森文彦(弁護士)(5ページ)

◆ 建築防火材料コーナー

 ◇スラグせっこう板・パルプセメント板/セメントファイバーボード工業組合(5ページ)
スラグせっこう板・パルプセメント板は、不燃材料及び準不燃材料のボードで、主に建築物の内装材(一部外装材)として使用さている。経済的で安全な建築材として、内壁天井及び軒天・間仕切り壁・外壁等の用途に広く使われている。スラグせっこう板は、 日本工業規格繊維強化セメント板JIS A5430-1995に制定され、パルプセメント板は、日本工業規格パルセメント板JISA5414-1993に制定されている。次に、スラグせっこう板・パルプセメント板の建設省防火材料認定をす一覧表は、表 
1の通りである。

◆ 定期調査報告関係地域法人紹介コーナー

 ◇ (財)熊本県建築住宅センター(7ページ)
本センターは当初、定期報告率の向上を図ることを目的に建築安全センター(仮称)という構想のもとに設立準備がなされていました
が、結局、住宅性能保証業務の実施や住宅情報の発信を視野に入れて、建築、住宅両面の総合的な業務を行う団体として設立されること
となりました。設立時は、県下の特定行政庁(熊本県及び熊本市)の定期報告制度の受託業務及び住宅性能保証業務が主なものでした
が、その後県の補助事業である住宅相談業務耐震改修評価業務等を行うほか営繕業務、構造評価業務などの事業を行ってきました。ま
た、建築関係12団体からなる「くまもと木造住宅推進協議会」の事務局を務め、過去4年間主催事業として開催した住宅フェアを今年
は同協議会主催で行う等建築関係各団体とのネットワークを活かした事業を展開しています。本年5月1日に施行された改正建築基準法
により民間確認検査機関が法的に位置づけられましたが、本センターも来年度中の指定に向けて作業を開始したところです。


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財団法人 日本建築防災協会 機関誌係
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