特集「天井の落下対策 その3」 「関東大震災から90年」

No. 427 2013/8月号

特集「天井の落下対策 その3」

「関東大震災から90年」

 

※執筆者名の後の( )内の数字はその記事のページ数を表す。

 

◆防災随想

◇性能設計が建築家に求めるもの  (1ページ)

吉田 克之

YSD研究室 代表

2000年に防災関連規定に性能規定が採用されてから早いもので13年が経ち、性能設計も軌道に乗ってきた。

 

◆特集「天井落下対策 その2」

◇建築物の天井脱落対策に関する技術基準とその概要 (8ページ)

岩崎 和明

国土交通省住宅局建築指導課

建築基準法施行令(昭和25年政令第338号)第39条においては、「(略)内装材、外装材(略)は、風圧並びに地震その他の震動及び衝撃によって脱落しないようにしなければならない。」と規定されており、天井の脱落対策を講ずることを求めていますが、詳細な基準は示されていません。今般、東日本大震災の被害を受け、天井の脱落対策に関する技術基準を制定しました。

 

◆特集「関東大震災から90年」

◇1923年関東地震と建物被害 (6ページ)

小谷 俊介

東京大学名誉教授

関東地震および震災について述べる前に、関東地震以前の建築耐震構造については簡単に触れておく必要があろう。明治新政府は富国強兵策を目的に工部省を設け、1873年から工部省工学寮でお雇い外国人による工学教育を開始した。1876年には、近代地震学の祖と言われるJ. Milneが鉱山学教授として着任している。1877年には工部大学校に改組され、造家学科に英国人建築家J. Conderが招かれ、西洋式建築教育を始めた。工部大学校は1886年に帝国大学工科大学となったが、この頃から教育がお雇い外国人の手を離れて日本人に移り、造家学科でも工部大学校造家学科第1回卒業生の辰野金吾が教授になった。

◇大正関東大震災(1923)における津波被害 (4ページ)

都司 嘉宣

深田地質研究所

大正12年(1923)9月1日の正午ごろ、東京・横浜をはじめとする南関東地方に未曾有の大被害をもたらした、「大正関東地震(M7.9)」は、関東地方を載せる北米プレートと、相模トラフの線からその下方へ潜りこもうとする フィリピン海プレートの境界面の滑りによって生じた巨大地震である。

◇家屋倒壊、および死者分布からみた大正関東大震災(1923)の特徴 (5ページ)

都司 嘉宣

深田地質研究所

 

大正12年9月1日の正午頃発生した、大正関東地震は、関東地方南部を走る北米プレートと、その下方に潜り

込もうとするフィリピン海プレートの境界面に発生したマグニチュードM7.9の巨大地震である。この地震は、当

時の東京の市街地の中心部で発生した火災のために、およそ10万人の死者を生じ、我が国の近代の最大の自然災

害となった。この未曾有の地震災害が発生した3年後の1926年、内務省社会局から『大正震災志 上』(以下、「震災志」とよぶ)という詳細な報告書が作成された。

 

◇関東地震(関東大震災)と液状化 (5ページ)

若松 加寿江

関東学院大学理工学部

液状化現象が構造物に重大な被害を与えることが認識され、「液状化」という言葉が確立したのは、1964(昭和39)年の新潟地震以降のことである。1923年(大正12年)に発生した関東地震は、それより約40年前の地震であるが、「砂が噴き出した」など液状化現象を示す記述は震災記録に数多く記載されている。本稿では、関東地震90周年を機に、この地震による液状化被害を振り返り、迫り来る首都直下地震への備えの一助にしたいと思う。

 

◇関東大震災等と東京市の市街地形成 (7ページ)

菅原 進一

東京理科大学総合研究機構

関東大震火災で東京市は灰燼に帰し約6.9万人が命を落とし(写真1)、江戸以来のまちづくりを再考して耐火・耐震都市へ改造することが不可欠とされた。しかし、その道程が険しかったことは、戦災で東京市が再び一面焼け野原となり、10万人を超える人々が犠牲になったことからも明らかである(写真2)。戦前は、大名小路、中央通りなどの幹線道路沿いに鉄筋コンクリートのビルや土蔵が建ち路線防火的状況ではあったが、その横町や幹線に準ずる主要道沿いは塗屋や看板建築などが建つ程度で、道路に面する表皮の部分は防火性があっても、その内側の餡子部分は木造密集地域であった。昭和20年3月10日の東京大空襲では、通常の2倍の集束型油脂焼夷弾を6トン搭載したB-29が320機以上も襲い掛かり市街地はひとたまりもなく焼滅した。米国は焼夷弾の威力を確認するため建築家アントニン・レーモンド(Antonin Raymond, 1888 – 1976年)の協力の下、ユタ砂漠に日本木造の街並みを再現し実験を行っていた。

◇関東大震災による火災と木造密集市街地の防火対策

-関東大震災の記憶を風化させず今日の防災に活かすために- (8ページ)

関澤 愛

東京理科大学大学院教授

今年は、1923年関東大震災の90周年にあたる。よく知られているように関東大震災では強風のもとで同時多発火災が発生し、多くの人が火災に追われ逃げ惑いながら犠牲となった。関東大震災当時の東京は、木造密集市街地が連なり、道路も狭く消防力も不十分であった。また、折り悪く強風が重なったことも火災被害を甚大なものにした。こうしたことは誰もが知識としては知っている。だが、筆者が危惧するのは、ビルなどの不燃建築物の増えた現代の東京に住む私たちが、関東大震災と同じように火災に追われて逃げ惑うような災害状況は、今はもう起きないとの淡い期待を抱いてはいないかということである。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって思い知らされた最も重要な教訓の一つは、極めて稀で非常に厳しい災害シナリオも、現実に起きるということである。

◇ライフラインシステムの被害・影響と対策の方向性 (5ページ)

佐土原 聡

横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院

大地震にともなう被害は多岐にわたるが、その地震の被害の様相を最も決定づける出来事が時代を超えて伝えられていくとともに、それがその後の震災対策のターゲットになってきた。関東大震災では火災旋風を伴った大規模火災、阪神・淡路大震災では木造家屋を中心とした建物倒壊であった。東日本大震災では、津波被害、及び原子力発電所の被災といえるのではないだろうか。そして原子力発電所の被災はその被害の甚大さを露呈するとともに、最も基盤となるライフラインであるエネルギーの今後のあり方を私たちに問いかけている。

 

◆「寄稿」

◇驚く早さ、三年で完了したシン川地震被災地の復興 (6ページ)

曲 哲

中国地震局工程力学研究所

和田 章

日本語確認:東京工業大学名誉教授

2008年5月12日14時28分に巨大地震が中国四川省の西部で発生した。震央は四川省シン川県であり、「シン川地震」と呼ばれている。中国地震局によると、この地震のマグニチュードはMs8.0と報告され、中華人民共和国が誕生してから最大級の地震である。中国民政部の報告によると、2008年9月25日まで69227人が死亡、374643人が負傷、17923人が行方不明となっている[1]。2008年9月4日の統計によると、直接経済損失はおよそ8451億元(2013年8月時点、1元:約16円)とされている[2]。この被害は1976年に起きたマグニチュードMw7.5の唐山地震以来、中国が受けた最も深刻な地震被害である。

 

 

 

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