特集「建築防災はじめて物語 その3」

月刊「建築防災」
No. 401 2011/6月号
特集「建築防災はじめて物語 その3」
※執筆者名の後の( )内の数字はその記事のページ数を表す。
◆防災随想
◇電気が灯った/中島修一(ダイケンエンジニアリング(株) 常務取締役)(2ページ)

 
◆特集「建築防災はじめて物語 その3」
◇火災と木造建築-モルタル外壁-/大橋好光(東京都市大学工学建築学科 教授)(4ページ)

 日本では、家は火事になれば燃えるものというのを疑うものはいなかった。日本の都市部の住宅構法を調べた新海吾郎は、明治年間における外壁構法の大半は、下見板張だったと述べている(文献1)。そこで、政府は、明治12年(1879)の日本橋の大火をきっかけに、付近の主要道路を防火路線と定め、その両側に建築する家屋を土蔵造や煉瓦造などに限定した。この頃に形成された土蔵造の街並みを倣ったのが、川越市や栃木市など小江戸と呼ばれる町々である。
 
◇エレベーターとエスカレーターのはじめて/日本オーチス・エレベータ(株) コミュニケーション部(4ページ)
 エリーシャ・グレーブス・オーチス(Elisha Graves Otis)。安全装置を備えた近代的エレベーターの開発者であり、米国オーチスの創業者である。
 
◇国産自動ドアの普及と発展/構井克典(ナブテスコ(株)住環境カンパニー)(4ページ)
 18世紀にヨーロッパへ広く紹介された『千夜一夜物語』(アラビアンナイト)の中の話の一つである、『アリババと40人の盗賊』に出てくる「開け、ゴマ」のくだりは有名なお伽話であるが、これはあくまでも物語である。時代をさかのぼり紀元前エジプトのアレクサンドリアでは、発明家のヘロン(Heron Alexandrinus)が神殿の扉に蒸気を利用して自動的に開閉させたといわれている。またレオナルド・ダ・ヴィンチは、余生の3年間を過ごしたフランスのクロ・リュッセで自動ドアを考案したとの話もある。これらの真偽のほどは定かでないが、「ドアを自動で開く」ことは古今東西の人々の「夢」であったことは間違いないであろう。驚くべきは後年、早稲田大学がヘロンの残した著書『ニューマチカ(Pneumatika)』に基づいて原理模型を再現したところ、実際に扉が開閉したというから現代人から見ても驚異の発明である。
 
◇網入板ガラスのはじめて/渡部紀夫(板硝子協会 調査役)(5ページ)
 板ガラスは、鉄やコンクリートとともに近代建築には欠かせない素材である。鉄やコンクリートの一部で世代交代が進むなかで板ガラスに代わる素材は出てきていない。建築物の開口部の高機能化のなかで、板ガラスに求められる役割はさらに高まり、ニーズに対応すべく様々の機能が付与された板ガラス製品がメーカーにより開発され市場に導入されている。
 
◇安全ガラスのはじめて/渡部紀夫(板硝子協会 調査役)(3ページ)
 安全ガラスは、万が一破損してもガラス破片が細かく粒状になりあるいは飛散せず、人体への傷害の恐れが少ない安全・安心を提供するガラスであり、一般的には強化ガラスと合わせガラスの2種類がある。強化ガラスは、ガラスの強度を通常の同厚の板ガラスの3~5倍ほど高めて割れにくくするとともに、割れた場合には破片が細かく粒状になり大きな怪我をしにくくしている。また合わせガラスは、2枚の板ガラスの間に強靭な特殊中間膜をはさんで圧着して一体化しているため、ガラスが割れたときの衝撃物の耐貫通性能とガラスの破片の飛散防止性を高めており、建物の安全ガラス、防災ガラス、防犯ガラス、自動車用のフロントガラスなどに使用されている。
 
◇自動火災報知設備のはじめて/井上浩一郎(能美防災株式会社)(4ページ)
 日本の防災体制が確立されていない大正末期火災報知機の必要性を痛感し、その製品化に奔走した人物がいた。能美輝一である。
 
◆既存建築物耐震診断・改修等推進全国ネットワーク委員会 平成22年度 第2回全体委員会開催報告/既存建築物耐震診断・改修等推進全国ネットワーク委員会 事務局 (財)日本建築防災協会
 
 
 
*情報交流制度にお申し込みいただいた方には、当協会の月刊誌である「建築防災」をお配りしています。
 
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その他詳細につきましては、下記事務局までお問い合わせ下さい。
一般財団法人 日本建築防災協会 建築防災編集係
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電話:03-5512-6453 FAX:03-5512-6455
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